虎ノ門にある「とらのもん」でカツカレーを頂いた
虎ノ門という街には、奇妙な時間の層が重なっているようなところがある。新しい高層ビルがぐんぐんと空へ向かって伸びている一方で、地面にはまだ昭和の匂いが残っている。僕はそんな場所が嫌いじゃない。というより、わりと好きな部類に入る。
その日、僕は傘をさして、虎ノ門の洋食屋「とらのもん」へと向かった。名前からしてそのままだ。もしかすると、そういう単純さが一番誠実なのかもしれない。
店に入ると、すぐに声が飛んできた。「傘はそこの傘立てに置いてちょうだい」。威勢のいい、でもどこかあたたかみのある声だった。店のお母さんらしい。たぶん江戸っ子だ。どうしてそう思ったのかは自分でもわからないけれど、そういう気がした。
僕はカウンターの、キッチンに一番近い席に座った。まだ他の客はいない。雨の音と、厨房から聞こえる油のはじける音だけが静かに混ざり合っていた。
メニューはもう決めてあった。カツカレー。スプーンではなく、フォークで食べさせるということで有名なやつだ。なぜフォークなのか。それについて深く考えない方がいいような気がした。世界には説明のつかないことがたくさんあるし、そのいくつかはフォークに関係している。
しばらくしてカレーがやってきた。フォークとスープと一緒に。「シャツにカレーつけないでよ」とお母さんが言った。そう言われると逆に緊張するものだ。でも幸い、僕はその日、グレーのTシャツを着ていた。たとえカレーがついても目立たない。完璧な偶然だった。
フォークで食べるカレーは、思ったよりも問題がなかった。揚げたてのカツはサクサクで、カレーは少し甘くて、どこか懐かしい味がした。たぶん小学生のころ、母が作ってくれたカレーに近いものだった気がする。僕は無心で食べ、無言で飲み込んだ。そして気づいたときには皿が空になっていた。そういう食べ物って、人生のなかでそう多くはない。
会計のとき、お母さんが「美味しかった?」と聞いたので、「はい、美味しかったです」と答えた。すると彼女はにやっと笑って、「美味しかったら8500円ね」と言った。僕は「じゃあ、今日は850円の方でお願いします」と返した。お母さんは声を出して笑った。雨はまだ降っていた。
また来よう、と思った。理由なんていらなかった。
レストラン とらのもん (洋食 / 虎ノ門駅、虎ノ門ヒルズ駅、内幸町駅)
昼総合点★★★☆☆ 3.0



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