鶴見市場 亀鶴(きかく)で キンケイカレー
在宅勤務が日常になってから、僕はひとつのルールを自分に課すことにした。「徒歩圏内の店はすべて行ってみるべし」というルールだ。まるで誰かが古びた万年筆で書いた地図をたどるように、街の小さな飲食店をひとつひとつ訪ねてまわる。これは案外、悪くない生活の楽しみ方だと思っている。
そんなわけで、今日は最寄駅前の「亀鶴(きかく)」という飲み屋兼定食屋に足を踏み入れることにした。
前から気にはなっていたのだけれど、朝から飲んでいるような常連たちの姿がガラス越しに見えて、なかなか入りづらかった。けれど、人間、たまには空気のような勇気を持たなくちゃいけない。つまり、ふっと自然にドアを押すような、そんな勇気だ。
店内は思っていたよりも奥に長く、古い喫茶店のような湿った木の匂いがした。カウンターには地元の男たちが無言で並び、テーブル席では女性二人が黙々と煮魚を食べていた。僕はそっと、テーブルの端に腰を下ろし、壁に貼られたメニューをひと通り眺めてから、「キンケイカレー」を頼んだ。頼むべきものは最初から決まっていた気がした。そういう運命的な選択が、人生にはたまにある。
カレーがやってきた。なんてこと無い奇をてらってない素朴なカレー。
スプーンを入れて一口食べた瞬間、僕は一気に高校時代のスキー合宿に引き戻された。カレーというより、思い出を咀嚼しているような味だった。味は特別うまいわけでも、驚くほどまずいわけでもない。ただ、そこに在るべきものとして存在していた。
「これはこれで、いいのかもしれない」と僕は思った。
食べ終えてふと見上げると、壁一面に貼られた矢沢永吉のポスター。BGMももちろん矢沢だった。マスターはきっと、矢沢の歌を聴きながらこの店をずっとやってきたんだろう。そのブレなさが、ちょっとだけうらやましかった。
また来てもいいかな、と思った。でも次は、定食にしてみよう。たぶん、僕の知らない味がまだこの店の奥に眠っている気がしたから。


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